2009年7月1日水曜日

失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへ―を読んで

シーダ・スコッチポル著 / 河田潤一訳(2007

『失われた民主主義――メンバーシップからマネージメントへ――』(慶應義塾大学出版会)を読んで

熊本大学大学院社会文化科学研究科博士後期課程 椿 優子

 本書は、19世紀初頭からのアメリカ合衆国における市民世界の変貌を「メンバーシップからマネージメントへ」の変化として捉えている。その視点は、「歴史的制度論」的なものから変化する社会的・政治的条件、自発的結社に焦点をあてている。

 1970年代から90年代に、市民世界は変貌-より古い自発的なメンバーシップ連合体は急速に衰退-したが、他方、新しい社会運動や専門的に運営される市民組織が登場し、全国の市民生活の目標や価値を定義し直した。

 結社自由主義のこうした衰退を、ロバート・D・パットナムのような「社会資本」論者や一部コミュニタリアン(地域第一主義者)は悲観し、他方、リベラル派(全国第一主義者)は称賛する。けれども、スコッチポルは、前者が想定するその原因を「世代交代の漸進的プロセスに求めることはできない(p.150)」とし、後者には、「全国的なプロジェクトやアイデンティティがつい最近になって出現したと考えるのは、過去のアメリカ市民社会をひどく誤解することでもある(p.190)」とする思考方法を問題とした。

 スコッチポルは、アメリカにおける過去と現在の市民生活の傾向を「自発的結社が長い間にいかに変化したかを説明し、変化が、我々の民主主義にいかなる影響を与えたか(p.15)」を長期にわたって集めた資料と幅広いデータと証拠において言及している。

 1960年代の「メンバーシップからマネージメント」への変化を、社会的、政治的、技術的変化の結合から生まれたものと認識し、新たに出現した市民世界は著しく寡頭的という。現代のアメリカは、こうした意味で「失われた民主主義」の時代にあり、「アメリカ人は、民主的ガバナンスと多数の市民の関与を可能とする代表制システムを通じて自己統治する草の根結社の間のつながりを強化する方法を見出さなければならない(p.250)」と述べる。

以上は、本書の内容を紹介である。スコッチポルの貢献は、パットナムやコミュニタリアン、他方のリベラル派の主張を批判するが、それらの主張を補う議論ともなっている。前者は、対面的な社会的つながりの相互作用的な結びつきを重視し、後者は、「革新的な『全国的コミュニティというビジョン』と、それに付随して巨大化する『大規模で中央集権化された連邦政府』(p.8)」の強化を重要と主張する。このように、前者と後者、または「大規模で中央集権化された連邦政府(p.8)」と「『自然な』草の根コミュニティ(p.8)」などのように、問題を二項対立的に捉える視点と、スコッチポルの視点はさらに異なっていて、学ぶ点が多い。そうであるので、日本の市民世界は、本書の分析しているような「メンバーシップからマネージメントへ」の変化が見られるのかということに、興味を持った。

スコッチポルは、「我々が失った市民的世界へと戻ることなどはありえない(p.252)」というが、「過去の我が市民社会の最良の部分を再創造する方法を探すことはできるし、またそうすべきである(p.252)」と述べることから、市民社会を再構築するために、草の根結社間のつながりを強化する方法を見出そうとする具体的提案は注目するに値する。

1 件のコメント:

  1. この本は、トックビルがアメリカの民主主義の駆動装置として評価した市民参加の社会的仕組みが大きく変貌してきていることを、丹念な歴史社会学的手法で分析してある好著ですね。近年のNPO/ボランティア賛歌や協働を賛美する我が国の傾向にも、丹念な検討が必要なことを示唆しています。社会科学を研究する人の必読の書ではないでしょうか。

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