2009年7月11日土曜日

『内発的発展論と日本の農山村』を読んで

保母武彦『内発的発展論と日本の農山村』を読んで

熊本大学大学院社会文化科学研究科公共政策専攻1年 

                  柳田 紀代子

「内発的発展論」という言葉は、1975 年の国連経済特別総会に提出されたダグ・ハマーショルド財団の報告書『なにをなすべきか』の中で「もう1つの発展」という概念を提起した際に、「内発的」という言葉を「自力更生」と並んで用いたことが最初だとされている。内発的発展論とは、欧米が工業化していった経験をもとにつくられた、先進地域と接触することで、近代的な状況へと発展するという近代化論や外発型の発展に異議を唱えた発展理論であるが、論者によってかなり内容に開きがあるようである。

本書においては、内発的発展という言葉は「アメリカが、ベトナム戦争で決定的敗北を喫し、石油危機によりインフレと不況が同時進行するなど欧米の近代社会が築いてきた国際秩序が揺れ動いた時代であった。・・・欧米型社会ともソ連型社会主義とも異なる発展モデルを模索しはじめていた。宗教、歴史、文化、地域の生態系の違いを尊重して、多様な価値観で多様な社会発展を図ろうとするものであった。」とする

現代社会を見てみると、経済諸活動の高度化・拡大に起因する地球温暖化、オゾン層の破壊等の地球環境問題や、途上国における人口増加、昨年来のアメリカのリーマンショックから世界規模の不況、そして、ここ数週間、なすすべもなく水際作戦のみに頼る状況の新型インフルエンザに代表される感染症といった国境を越える問題が深刻化する中で、従来までの近代社会が築いてきた欧米近代化論では、すでに限界を超えた状況であり、解決の糸口が見いだせない状況にある。内発的発展論は、限界に達した近代化論に代わる新たな発展モデルとして、これまでの流れからの観点を打ち破り、人間と人間、自然、文化、地域経済とが顔の見える関係で根づいている「地域」を中心に多様な社会の発展を見ていこうとする考え方である。
もともと、国連機関における内発的発展論は、途上国の新たな発展論として提起されたものであるが、日本では、農山村など、欧米の近代化論でいうところの発展の遅れた地域においては、共通の課題があることから農山村の地域づくりと結びついて論ぜられることになった。

本書は、この内発的発展論について、多くの日本の農山村における実例をもとに、より具体的なかたちで論述してある。農山村の現地調査を行い、その中に地域発展の法則を見出そうとしている。また、戦後日本の農山村政策の検討を踏まえて、政策的な提言を出している。

保母は、多くの農山村の現地調査やアンケート調査の結果、ドン底から地域再生を果たした実践事例を踏まえ、「今後の農山村は「生産」と「環境」をキーワードにしていくことが必要である。地域づくりの目標は、「維持可能な発展」と「生活の質」におかれる必要がある。地域振興の方法としては、複合経済の確立、農村の共同事業の実施が大切なテーマとなる。決定的なのは住民の参加と自治である」。としている。
 このような視点から農山村の現代的状況、特に過疎の問題を通して、日本の農山村の農林業・農山村がもつ公益的機能の評価を論じる。農林業・農山村を維持する必要性として、食料供給だけでなく、洪水防止、地下水涵養、水や大気の浄化効果、教育的効果、自然文化資源の提供などの外部経済効果があるとし、「日本の農山村の衰微は、農山村居住者だけの問題ではなく、食糧、水源や余暇活動の場を農山村に求める都市住民の問題であり、また国内の木材や食糧生産をおろそかにして輸入に依存するという点では、地球環境の問題でもある」。
 そのため「国家政策としては、何よりもまず、農林業・ 農山村が持つ社会的の評価において、食糧生産機能に加えて、地球環境、国土政策(治水、流域管理等)及び都市住民(健康、余暇等)にとって国内の農山村の維持存続が欠かせないことの認識をはっきりさせる必要がある。そして、農家の維持存続や農村集落の維持存続を経済的に支える制度的、財政的制度の検討が急がれる」。とする。
 これまでの、経済効率優先の立場からの政策を180度転換させ、環境、国土保全と都市と農村との交流からの再評価を促す。また、「農業・農村政策は国内なり地域からだけでは発想しえなくなっている。アメリカでは、70年代の食糧危機から80年代の食糧過剰の時代となり、ECは農産物輸出ダンピング、東南アジアの食糧自給・・・といった国際的な農業と農産物貿易の動向に左右される。はっきりしてきたことは、農業生産のみの生産性向上や規模拡大といった経済効率を優先する政策路線では、環境問題などによって世界的に農業も農村も持続させることが困難になっていることであり、農村の持つ資源、環境・景観を含めて地域社会に対する総合的視野を持つことの大切さである。」としている。 地球規模の農村問題を解決するためには、そういった総合的視野をベースに、「有効な人工政策」「就業対策」「生活対策」が必要とする。    農山村は一般に都市部などと比べて経済活動の条件が劣っており、農業生産性が低く、他種類の職業選択の機会に恵まれていない。自然の成り行きにまかせれば、人口の減少や集落の自然消滅が進むことになるとしており、「その歯止めとして公共的関与と地域の自治が必要である」とし、地域内の資源、技術、産業、人材などを活かして、産業や文化の振興、景観形成などを自律的に進めることを基本とする内発的発展論にもとづく政策としてなされる必要があるとしている。
 様々な事例から導き出されたこの結論は、現実の重みがあり、説得力がある。
 興味深かったのは、戦後の農山村政策を振り返った第2章である。1970年の疎過地域対策緊急措置法が議員立法として成立した際に、過疎法に対立的な内容の新全国総合開発計画(新全総)が策定された経緯である。「人口の過度の減少を防止する」ことを目標とし、過疎地域の人口なり地域社会をそのものとして維持していくことの目標を置いた過疎法と農村の人口流出を生産性の低い農業に従事していた農村の過剰労働力が大都市の労働力需要に満たすものとして農業・農村人口の減少をむしろ望ましいものとして位置付ける新全総とは考え方に決定的な違いがある。つまり、初めから矛盾を孕んだままのスタートであり、これまで様々行ってきた過疎対策が必ずしも過疎地域を救ったと言えない状況で、過疎地域は、人口の増加はおろか集落の維持さえ困難で活力のない産業経済となっている。保母は、このような現状をもたらした原因を3点挙げている。一つは前述した政策理念の矛盾、2つ目は地域政策が未確立で地理的、社会的に不利な地域に高生産農業をもとめている点、3つ目は財政政策手法の問題点として、主な財源が過疎債であったため、施設の建設が中心となって、住民が過疎地域に住み続けることに必ずしも繋がらなかったことを挙げている。

ここで、保母は具体的な政策を提案する。例えば、生産条件の不良な中山間地域に対して、ECにおける「ハンディキャップ地域政策」のような環境保全の具対策を提言する。「ECのハンディキャップ地域政策の目的は平坦部に比べてハンディキャップを持つ山岳地域の農業に助成して、限界的条件をもったこれら地域における人口の維持、自然と国土の保全をはかることにあるとし、その目的を所得政策、人口政策、環境保全政策(農村景観の維持)の3つの機能を併せ持っている」としている。あるいは経済効率至上の理論からの農山村補助金の変革を提案する。

また、保母は、「自立」と「自律」を明確に使い分けている。「今日のように、経済社会が全国化し、さらに国際化している中では、国内の地域経済の自立は・・・基本的に存在しないと考えるべきであろう。必要なのは、自律であり、地域の自己決定権を発揮することである。」

このように、保母は、経済効率を最優先に進められてきた日本社会に地域の「自律」概念を持ち込み、「維持可能な社会」の実現、「生活の質」の重要性を強調する。
 本書の第2章において、過疎対策における国の政策理論が矛盾を孕んだままスタートしたことを指摘しているが、まさにその影響が今もって続いていると言えるのではないか。新過疎法の制定に際し、その農山村の持つ環境や国土施策の観点から、農山村の「自律」のためという理念を反映されるかどうかを注目していきたい。

                              (2009年5月8日)

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