2009年4月26日日曜日

ブータン紀行(写真アルバム)

幸せと政策

 3月の終わりに、ヒマラヤ山中のブータン王国を訪ねた。この国が、昨年王国から、憲法典と国会を持つ立憲君主国へ変わったことから、民主化の起点としてこの目で見ておきたいと思ったこと、さらに有名になった「グロス・ナショナル・ハピネス」政策(GNH)というものの具体像を知りたいという思いからだった。
 民主化については、先代の国王が国民を説得して、国の将来を国民自身が考え、決めていくようになるべきだとの信念を国民に伝え実現したものだ。国民は君主制のままでありたいというものを、王と皇太子が全国行脚して国民と対話を繰り返し、ついに憲法典の起草、そして国会の発足に至った。憲法には、国民が望めば王室を廃止するための規定も、王の要求で盛り込まれている。現在、昨年3月の国会議員の選挙、今年の地方議会の選挙と、徐々に民主化の制度が動き始めていた。
 先代の国王は、立憲体制の見通しが立ったことから、突如退位して28歳の息子に王位を譲った。世界一若い、独身イケメン国王の誕生だ。新しい国のスタートを、新しい体制で臨ませる意図を、先代の国王は着々と準備していたわけだ。歴史上、民主化の過程は、イギリスでも、フランスでも、君主の力を制限する要求を聖職者、貴族、市民などが暴力を伴いつつ要求して成し遂げられてきた。しかし、21世紀の小さな王国では、君主のイニシアティブで民主化の扉が開けられた。
 ブータンは、チベットやモンゴル、ネパールなどと同じラマ教の文化圏であったが、長い鎖国状況を経て、共産主義にも市場資本主義にも影響を受けない特異な社会が、ひっそりと生き延びていたという感がある。一番興味深いことは、その仏教思想に深く裏打ちされた生活習慣であり、政策であり、国家機構・制度であり、また近代化の受容のコントロール方法である。また、宗教と政治の関わりも、西欧の中性国家のように分離されたものではなく、王と聖職者による二元代表制は、パレスや地方の役所に行政とお寺が同居していることからもわかる。しかし、現実の政治に宗教が介入することではなく、その精神を活かしているという意味である。
 町や村の民家の屋根、峠や川に架かった橋など、いたるところにルンタとよばれる経文や馬が印刷された赤や白、黄色、緑、青の旗が風にたなびいている。風が、川の水が、仏の教えを伝え、世界を浄化してくれるのだという。また、マニ車という仏典が仕込まれた円筒形の車を無心に回し祈る人々、仏舎利や寺院の周りを時計回りに回りお経を唱える人々、五体投地で祈りを捧げる人など、町中のいたるところ、不断の生活の中に、仏教思想と習俗が息づいている。
 公式の場所では、民族衣装を着ることが法律で義務づけられているブータンでは、外国人以外はまずゴやキラという美しい織りの着物を着ている。ガイドのジミーは、家では一番立派なのは仏壇の間である。毎朝夕家族でお祈りをする。その内容は、家族の健康や幸せだけではなく、この世のあらゆる生き物、自然が平和で安らかでありますように、世界の人々が幸せでありますようにといった、利他的な祈りであるという。殺生をしない生き方は、虫や鳥や動物を殺したりいじめたりしない。美しい川では、だれも魚釣りをしない。殺生は、もしかしたら自分の親族の生まれ変わりかもしれないと信じているからだという。
 この輪廻転生の思想は、世界は終わりのない繰り返しであり、無情であるという。仏教では、人の「欲望」をどう克服し、心を浄化して、平穏を得るのかということを悟りとして伝えている。ダルマは、怨み、妬み、愛するものとの別れ、求めて得られない苦しみなど、欲望が生に対する激しい執着を元としていることを教え、その囚われた心からいかに脱するかを教える。旅をとおし、ブータン人と語ることで、このような悟りを求めて生きること、その思想自体がグロス・ナショナル・ハピネス(GNH)政策の精神を支える智慧ではないかと思えてきた。
 個人の欲望、煩悩を全開させることで近代化を進めてきた英米の個人主義をベースにした資本主義社会と、このブータン王国の目指す社会像は、どうも対極のところにあるような気がする。我々は、欲望に薄く、競争心の弱い人をハングリー精神のない怠け者であり、そのような社会を活力のない、意気地のない国として偏見を持っているのではないだろうか。
 たしかに、我々の経済規模は世界を覆うほどに拡大し、技術は臓器をも移植したり、生命を操作したりできるような力を得てきた。しかし他方で、私たちの幸せは、人と競い、他者の持たないものを所有し、使い切れないほどの金を稼げることで自分の能力を誇示するなかでしか、成功者としての幸せを感じられないようになっている。生物が持続可能できないほどまでに奪い尽くす我々の生き方は、ブッダが2千年も前に悟り伝えた智慧を理解できないでいるようだ。「経典の民」である一神教の教えと違い、この世の無常から出発し、心の浄化を目指し続ける仏教思想は、もしかすると新世紀の地球を救う大いなるヒントを秘めているのではないかという思いすら感じた。
 グロス・ナショナル・ハピネス(GNH)政策が、理解され、支持されるためには、我々の国では精神基盤の変革を成さない限り、不可能ではないかという思いも、他方で確信する。ブータン王国の、壮大な、ドンキホーテ的な社会実験が、世界に広がる可能性を、今後も探ってみたいと思った。

2009年4月9日木曜日

はじめまして

 はじめまして。
 私は熊本大学大学院社会文化科学研究科公共政策学専攻の教授で、上野眞也と申します。
 この政策大学院は昨年4月に発足し、初年度は16名の学生が、今年は7名の学生が入学しました。その多くは政治家、公務員、団体職員、企業職員など仕事を持った方々です。もちろん学部からの進学者もおります。多彩な学生と教員が、試行錯誤しながら政策について議論し、調査し、学び会っています。
 このブログを通して、学生、教員、そして広く社会の方々と政策をテーマに考える場としたいと考えております。社会現象に対する所感や、読書感想、政策提案などなど、ご自由に投稿ください。
 なお、大学院生の皆さんには、投稿の権限をお渡しし、自由に投稿いただこうと考えていますので、ご活用いただければ幸いです。

 昨年末以来、世界的な同時不況のなか、守るべき社会の価値や、公共が担っていくべきことなどについて、この20年ほどの議論がいかに強者による欺瞞に満ちた論理であったことも次第に明らかになってきています。「良き社会の構想」としての政策を考えるためには、熱い心とクールな頭が必要なことは言うまでもありません。私たちの「熱い心」をここでは語り合い、それを糧にクールな頭を作る研究に取り組めれば最高ですね。